日本人と中国人の究極の違い
今日は、中国人の人間関係についてお話しようと思います。今回も日本人と対比しながら、中国人の特徴を見ていきます。
日本人にとって人間関係で一番重要なのは、ずばり相手に迷惑をかけないことです。日本人同士の人間関係で相手に迷惑をかけると、すぐ相手からうざがられたり、人間関係の中でハブられたりするので、日本人は極力相手に迷惑をかけないようするし、いつも他人の目ばかり気にして小心翼々としています。
それに対して、中国人は全く逆で、友達だったら迷惑を掛け合うのはむしろ当たり前だと考えているふしがあります。もっと具体的に説明してみましょう。例えば、日本人同士外で食事をするときはワリカンが基本で、奢ったり奢られたりは普通しません。しかし、中国人は奢ったり奢られたりを互いにかわりばんこで行うのが普通です。もっと端的に言うと、常に相手を利用し、相手から利用される関係を築くことを好みます。
中国人はこのような言わばwinwinの関係を複数人と同時に結びます。中国大陸はもともと福祉など皆無の厳しい社会環境であり、歴史を通じて相互互助組織が発達してきた風土なので、見知らぬ人に対してはとことん冷たいし無礼であるが、仲間同士は親身になって助け合うという精神があります。
一方で、ずるい人間はどこにでもいるもので、こういう中国人の精神性を悪用して、友達のフリをして一方的に相手を利用しながら、自分は一切相手を助けないタダ乗り行為をする不届き者も多くいます。これを中国語で白嫖 bai2piao2といいます。
一般に中国人との人間関係は距離が縮まるのも速いが、関係が解消されるのも速いです。気軽に話しかけてきて仲良くなったと思えば、利益にならないと思われて無視されるのも速いです。それに対して日本人はそもそも人間関係を築きません。せっかく良い縁があって見知らぬ人と仲良くなっても、その場限りの人間関係で終わらせるので人脈が広がりません。それとは対照的に、人脈とコネを最大限に活用して生きるのが中国人です。
一方集団になると日本人は強い団結力を示します。これに対して中国人は自己主張が強く、皆自分の利害を優先して勝手なことをするので団結心がありません。オリンピックで中国が強いスポーツは卓球であり、個人競技です。それと比べて、チームワークの悪さが足を引っ張ってか中国のサッカーは国際的にみてかなり弱いです。そのせいか、普段は反日の中国人もワールドカップのときは日本チームを応援します。同じ黄色人種だからということらしいです。
しかし、日本人の集団性はときに陰湿なイジメとして現れます。集団の秩序を乱す異分子を全員で排除しようとする力が働くからです。中国にもイジメはありますが、私が見る限り日本のほうが陰険で激しい印象です。
わたしが個人的に中国が大好きで精神中国人を自任している理由は、ずばりこの人間関係です。中国人との厚く固い友情に比べれば、日本人との人間関係なんてうわべだけのおためごかしみたいなものです。わたしは帰国してもう8年になります。その間できた日本人の本当の友人はほんの一人か二人ですが、私のWeChatには数千人の中国人の名簿があります。もちろんそのすべてが親しい友人なのではありませんが。
こういう理由で、中国に行った後で意外な生きやすさを感じ、日本社会の生きにくさを痛感して日本に帰りたくなくなる邦人はかなり多くいます。私自身は中国の魅力に感じ入って、中国のSNSで中国が素晴らしいと率直に発言しているのですが、疑い深く、ペテン師が多い社会で生きる中国人からは、チャイナマネー目当ての発言だと見なされているのが、いかにも残念です。
中国古典の何が魅力的なのか?
先日、高田馬場の美容院に行ったとき、美容師さんから、なんでそんなに中国が好きなのかと聞かれたので、「中国の古典が好きだからだ」と答えたところ、「うちの社長も韓非子を読んでいる」と聞かされました。話を合わせてくれたんでしょうが、韓非子が好きとは多分ワンマン社長だなと思いました。それはさておき、確かに韓非子は古典としての価値が高い書物です。
これは一言で言えば、人間不信の哲学です。「飴と鞭で他人を支配せよ」みたいなことが書かれています。
ただ、韓非子は、他の諸子百家の書物が多くそうであるように、多くの人間による編集や加筆を経て成立しています。今で言えばWikipediaのようなものです。もちろん韓非自身の手になる名文も含まれていますが、どうでも良い文章も大量に混ざっていて、さらに全部で55篇もある大部な書物なのでいきなり全文を当たるのはやめたほうが良いでしょう。
一応、岩波文庫から全4冊で全文の翻訳が出ていますが、訳者が学者でこなれない日本語なのと、全文を当たる困難さから初学者にはおすすめしません。
一方で、徳間書店から諸子百家の各作品の抄訳が出ており、こちらはコンパクトに纏まって訳文も読みやすいのでおすすめです。さらに台湾で出版された漫画版も出ています。こっちもかなり面白いです。
個人的には「孫子」の兵法もおすすめです。こちらは戦争に勝つ方法が説かれていますが、個人のケンカにも応用できます。
非常に合理的な思想で書かれているので、現代の読者にも理解しやすいはずです。こちらは岩波文庫版と講談社学術文庫版がありますが、講談社学術文庫の方は訳者の主観や自己主張がかなりウザいので、岩波文庫版の方をおすすめします。
「孫子」はそんなに難しい漢文ではないので、慣れてくると白文でも読めます。むしろ原文がややあっさりし過ぎているので、註釈が欲しくなります。
wikisourceで十一家註孫子が読めるので、漢文に自信がある人は挑戦してみて下さい。
さて、なぜ中国の古典が魅力的かというと、それがノウハウの蓄積だからです。
その美容師さんも、美容師としての仕事や店の経営、ライバル店に勝つ方法など、その業界独自のノウハウがあるはずです。では、それを文章にして発表したり、本にして出版しているかと言うと、していないようです。日本人は優れたノウハウがありながら、文字化するのは苦手なんですね。
一方中国は文字の国です。春秋戦国時代の数百年で最大のノウハウは政治・軍事・外交でしょう。それらのノウハウを記録として残したものが諸子百家の古典です。そこには人間社会の普遍的な法則が秘められています。
もちろん、古典を古典としてそのまま読むのが一番自然なのでしょうが、経営者や起業家がビジネスの観点から研究してみても有益です。特に孫子や韓非子がそうです。皆さんも是非一読してみて下さい。中国の文明の偉大さが実感できると思います。
日中は本当に友好関係を築けるか?
大連の日本を題材にしたテーマパークが営業停止にされたのは、つい2021年のことで、まだ覚えている方もいると思います。
また、福島のALPS処理水が「核汚染水」として中国国内で報道され、国内の一種のガス抜きのように反日機運が高まったのはつい最近のことです。
これらの事件は中国のような国では国家指導者の裁定によって決定されていることはまず間違いないので、習近平氏が本気で日中友好を考えているかどうかはかなり疑わしくなります。
しかし、そもそも「反日」は中国の国是です。それは「中国共産党が悪逆無道の日本侵略軍を撃退し、国内を封建主義や帝国主義の手先から解放して社会主義の理想郷を築いた」という、現代中国の「建国神話」に基づいており、それが現在の国家体制の根本と不可分に結びついているので、この際習近平氏の意向がどうであれ、あるいは習近平氏が本気で日本との宥和を望んでいる場合でさえ、中国が反日から国家の方針を軌道修正することはほぼ不可能なのです。
一方で、日本も歴史問題で中国と真に和解するのは難しい状況です。靖国神社の問題は言うに及ばず、中国と抜き差しならない対立の原因になっているのは過去の侵略戦争にまつわる、所謂「歴史認識問題」です。しかし、保守政権の閣僚や総理大臣が靖国に欠かさず参拝することから分かるように、歴史認識問題は日本側の国家体制と不可分に結びついています。
有り体に言えば、日本は明治維新以来この国を支配してきた一部の上流階級が、敗戦後もアメリカの支配権力と協力(或いは妥協)することで民主主義の建前の下牛耳り続けている寡頭政国家です。真に日中戦争や南京大虐殺について謝罪し、侵略の責任を認めることはこの国の支配階級の利益に直接影響します。そのため、日本側は日本側で歴史認識で真に中国と和解することはできないのです。
では、どうすればいいのでしょうか?
私が改めて主張したいのは歴史は民衆の意志と力によって動いてきたという事実です。どんな支配権力も民衆を無視しては権力を維持できません。それは有史以来、易姓革命を繰り返してきた中国4000年の歴史を鑑みれば明らかでしょう。われわれにできるのは、自分の身近な中国人、或いは日本人と友達になり、友好を深め、過去の歴史を乗り越えていくことだけです。それにより、日中は真の友好関係を築けると思います。
中国の言語文化――我是你的爹
我是你的爹(wo3 shi4 ni3de・ die1)
この中国語を見たことがありますか?初級者の方は試しに知り合いの中国人に言ってみてください。反応がかなり面白いはずです(笑)
爹 die1 は爸爸 ba4ba・ と同じでお父さんという意味です。
つまり、「私はお前のお父さんだ」という意味ですが、これだけ言うと日本人の読者には何のことか分からないと思います。
中国語の侮辱表現についてはこちらで解説しているので御覧ください。
これは、要するにCNMと同じでお前の母親を犯したぞという性的侮辱の表現です。が、もう少し婉曲に言っています。CNMは面と向かって言うとすぐガチの殺し合いが始まるレベルですが、こっちはもうちょっとオブラートに包んで穏やかです(笑)
魯迅の小説「阿Q正伝」で、阿Qが趙旦那について、自分も趙という姓で趙旦那と比べて先祖(世代が上)に当たると吹聴した所、趙旦那がブチ切れて阿Qをやっつけるという話があったと思います。これは日本人の読者には何のことか分からなかったのではないかと思いますが、要するにこれも我是你的爹と同じ発想です。
また阿Qが街のごろつきが自分を殴ることについて「息子が親父を殴るようなもの」(儿子打老子)と言って自分を慰め、精神勝利しているところを、聞きとがめられて更に殴られるというシーンがありますが、これも同じです。
こういう表現方法は母親との絆を重視する中華民族に特有のものです。
さすがは「孝」の国だと言ったところでしょうか(笑)
他にも、例えば「日本がアメリカの属国だ」ということを揶揄して
美国是日本人的爹(mei3guo3 shi4 ri4ben3de・ die1)
などと言ったりもします。同じくアメリカを美国爸爸と言います。また、(男性が)相手をからかうとき、相手を儿子 er2zi・(息子)と呼びます。
なお、香港などで話される広東語では「ごーはいねいげろうたお」と発音します。全く同じ意味です
我[ngo5]係[hai6]你[nei5]老[lou5]豆[dau6]
中国に世上只有妈妈好(世の中で優しくしてくれるのは母親だけだ)という言葉があります。いま世界で一番過酷な競争社会である中国では、家族と親しい友人以外の他者はすべて敵であり、中でも母親だけが自分に献身的に尽くしてくれるという観念が一般的です。この言葉は一見下品なチャイニーズジョークのようですが、実は無償の愛に飢えた中国人の魂の叫びなのかもしれません。
中国はガチで日本を侵略してくるのか?――中国文明試論
中国は日本に攻めてくるのか?
今日は日本人の皆さんに、中国は本当に日本に攻めてくるのかについて、自分の考えを述べさせていただきます。
最近、日本では中国の軍事的脅威がさかんに騒がれています。マスコミでも「海洋進出を強める中国」とか「力による現状変更」とかのパワーワードが枕ことばにされているので、中国ってヤバい国なんじゃないのかってよくわかんないけどそう思ってる日本人の方が多いと思います。これについて、まず中国とはなにかということについて、先にご説明します。
まずひとつに中国は文明だということです。日本でも古代から中世、現代まで歴史があって、大和朝廷とか、鎌倉幕府とか、戦前の日本とか、いろいろあったと思います。
日本人の方も自分は日本人だと思ってますが、それは現代の日本国の国民だという意味ですよね。たまに戦前の大日本帝国に帰属意識をもってる方がいらっしゃいますけど、それでも明治以来150年程度の歴史です。自分は鎌倉幕府の御家人だと思っている日本人の方は恐らくいないと思います。中国もそれと同じで、4000年の歴史があると言いますが、それは中華文明の方であって、今の中華人民共和国のことではないです。これは区別する必要があります。
これは個人的意見ですが、わたしは日本は中国の一部分だと思っています。でも誤解がないように言うと、さっき述べた中華文明の方の一部分です。それは我々日本人がいまだに中華文明の影響下に置かれているからです。漢字もそうだし、日本の文化はさまざまな面で中国文化の影響を受けています。日本の伝統の和服だって、中国古代の民族衣装にそっくりです。なので広い意味で中華文明の一部あるいは派生形だと言えます。
文化的影響だけではなく、歴史をみても日本は政治的に中国の一部分だったことがあります。
まず倭の五王ですね。今から1500年ほど前の中国南朝の宋の正史『宋書』に倭国の王として、讃・珍・済・興・武の名前が上がっています。日本の学者は倭王武は雄略天皇のことではないかと考えています。ありていに言えば、日本の天皇は古代中国の臣下でした。これらの倭の五王は中国に朝貢、つまり臣下として使節を送っているからです。
これは何も古代だけではありません。今から600年ほど前の室町幕府の足利義満は、日本国准三后と称して中国の明に朝貢し、成祖永楽帝から日本国王に封じられています。名目上のことではないかと言う人もいるかもしれませんが、すくなくとも名目上は日本の主権者が中国皇帝の臣下だったわけです。
ところで、わたしは支配にはハードな支配とソフトな支配があると考えています。相手の国を力づくで征服して、なにもかも無理やりかえてしまう。人も殺す。これがハードな支配です。昔日本が中国を侵略したやり方はハードな支配です。だからこれだけ恨まれています。これに対して文化的な仕方や間接的な方法で支配するやり方もあります。これを自分はソフトな支配だと呼んでいます。アメリカが日本にやっているのもソフトな支配だと思います。一般にハードな支配は抵抗が強く、恨みを残しますが、ソフトな支配の場合、その国の人々が満足している限り大きな抵抗は起こりません。中国は長い歴史を通して周辺の国におおむねソフトな支配を行ってきました。さっきの倭の五王もそうです。
もう一つ、はっきり述べておかなければならないのは、中国とは抽象概念であって、特定の民族ではないということです。これは文明としての中国です。日本語では現代の中華人民共和国も、文明としてのchinaも両方中国と呼ぶので混乱を招きやすいのですが、中国とはもともと世界の中心という意味です。これは古代の漢民族が自分たちの創造した文化を世界の中心の優れた文明と考えたことによります。これを中華と言います。ラーメンのことじゃないです。その後漢民族の住む地域には北方のモンゴル高原から遊牧民族が侵攻してきましたが、基本的に彼らはこの文明・文化を受け入れました。またこの文明・文化は南方のさまざまな少数民族、これを百越と言います、にも受けいれられてきました。
なので、漢民族の創造し、その後さまざまな民族が参加して創造的に発展させてきた文明・文化を中国と呼び、これは特定の民族とは関係ないのです。今の国としての中国には56の民族が存在し、この構造は今も変わりません。ただややこしいことに、今の中華人民共和国で最も影響力のある民族が漢民族であり、漢民族のナショナリズムとも関係があるからこれが混同されやすいのです。
極端な話、儒教や漢字など中国の伝統的な学問を修め、自分が中国人だと思えばアメリカの黒人でも中国人になれます。
実際に江戸時代の著名な漢学者荻生徂徠は自分が中国人だと考え、物徂徠と名のり、漢文の研究をするだけではなく、長崎に行って居留の華人から中国語の会話まで習いました。これは極端な例かもしれませんが、中国文明の影響を受けているという面で、すべての日本人がある意味中国人なのです。
なので、筆者も自分は精神中国人だと思っています。
では、これが戦争の話と何が関係するかについてお話します。
さっき述べた文明の概念は中国にとって外国と自国領土の区別が難しいという話です。中国文明の影響を受けた地域は国内と考えあくまで内戦と考えることも、外国の民族との戦争と考えることもできます。文明的にベトナムとか朝鮮とかはグレーゾーンですね。
しかし、中国の歴史を通してはっきりと外国との戦争を行ったことが二度あります。ハードな支配です。
それは古代の匈奴との戦争と清朝の乾隆帝のいわゆる十全武功です。
匈奴はトルコ系ともモンゴル系とも言われる遊牧民族で、当時の中国の漢帝国と死闘を演じました。当初は匈奴が圧倒的に優勢で、漢の高祖が匈奴に屈服したほどです。清朝は100年前まで存在した最後の王朝ですがその最盛期の乾隆帝の時代、大規模な対外遠征を繰り返しました。たとえばネパールのグルカやベトナムに侵攻しています。では、中国は外国を侵略したかというと、これは難しい問題です。
ひとつは、帝国という概念があります。帝国とはさまざまな民族から構成される国家です。通常帝国には共通言語と共通の法律があり、民族や宗教によって差別されないという構造があります。例えばローマ帝国やイスラム帝国などで、ローマ帝国ではラテン語が共通語であり、ローマ法がありました。イスラム帝国ではコーランのアラビア語が共通語であり、シャリーアつまりイスラム法がありました。現代のアメリカも一種の帝国ですね。
同じように中国はいわゆる漢文、中国ではこれを文言文と呼んでいます、を共通語にし、儒教や科挙などを通して統一国家を作っていました。先程のべた中華とその外の外国、これを伝統的に中国では夷狄と呼んでいますが、その区別が曖昧なのです。
中国にとって三つ目の外国との戦争があります。それはアヘン戦争です。これによって中国は近代を迎えたとされています。今までの曖昧な中華や帝国の概念を捨て、ある範囲の中国を切り取って近代的なネーションステートにするという動きが起きました。現代中国のさまざまな民族問題はこれに起因します。
なので、これから戦争が起こるかどうかは、この中華というシステムが上手く機能するかどうか次第だと思います。中国国内の人権問題や民族問題も、民主主義の問題というより一度捨て去った中華を機能不全のまま使い続けていることから起きているのです。中華という文明が影響力を保ち続ければ対外戦争は必要がないし、むしろ日本が中国の一部に加わってもいいはずです。いわゆるソフトな支配です。本来一帯一路などはそのような大きな志のあるプロジェクトだったと思います。それには中国の国民が他国から尊敬されることが前提です。とくに、もともと文化的に近い周辺諸国との関係です。
最後にハードな支配が起こるかどうか、つまり現代の中華人民共和国の軍事戦略について述べると、まず現代では核兵器の相互抑止力があるので、全面的な戦争に発展する可能性は低いと考えます。台湾海峡など局地的な紛争が起きてもそれが全面戦争につながるリスクは小さいと思います。また中国政府は「有史以来外国を侵略したことがない」と称しているし、自国民にもそう宣伝しているので、対外戦争をやるにはよほどの大義名分が必要です。結論を言うと、中国に日本を侵略する意図があるとしても、実行は難しいでしょう。ただし、日本のシーレーンを脅かして日本をコントロール下に置くことはできるかもしれません。
ではどうすればいいかというと日本と中国がソフトな形でひとつの国になれば問題はすべて解決すると思います。日本と中国の国境を取り払い、日中がひとつの国になるのです。これが私の持論です。そうすることによってのみ、近代のキリスト教、グローバル資本主義、国民国家という欧米が作った近代の世界体制を克服することができると考えます。
以上、皆さんここまで読んでいただきありがとうございました。
中国で今、何が起こっているか
筆者は不動産市場に明るくないため、自分の職務(通訳・翻訳・日本語教育)を通じて知り得た中国の一般情勢について、個人的見解を述べるにとどめます。
いわゆるゼロコロナ政策は、完全に失敗に終わったと言っていいと思います。国家が強権を発動させて封城(feng1cheng2 ロックダウン)を連発させたため、全国の経済を萎縮させ、また将来への不安から中国国民の消費行動は極端に抑制されています。結果、未曾有のデフレ不況が起きつつあります。
しかし、問題はそれだけではなく、コロナ禍前から兆していた国内の過当競争、すなわち内卷(nei4juan3)という課題があり、それが今回のデフレ不況でますます深刻化している形です。
中国の学生がどれだけ勉強しているか、恐らくのんびり恋愛や部活に勤しんでいる日本の高校生には想像もつかないでしょう。
私は最近とあるネット上で知り合った中国の高校生の男の子とやり取りを続けていますが、彼は文字通り朝から晩まで学校で勉強させられています。授業は朝早く始まり北京時間の夜10時まで続き、土曜日・日曜日も補習があります。休みは月1日か2日あるかないかで、まさに勉強漬けの毎日です。彼は別にガリ勉というわけではなく、むしろ軍人志望の不良青年で、大学進学の希望もなく、普段よく汚い言葉(脏话)を使い、タバコも不純異性交友もやりまくっていますが、しかし勉強はしっかりやります。そういう文化であり、制度でもあるのです。
不良青年でもこれだけガリ勉なら、学歴競争に参加する優秀な学生はどれだけ勉強していることでしょう。しかも、中国全土にはそのような学生は掃いて捨てるほどいます。
それで高校生から日本に留学したり、その後は英米の大学院で博士号まで取ろうとするエリートが続出しています。しかし、それでも競争に勝てません。まるでかつての科挙を彷彿とさせます。
これとは正反対に、日本ではゆとり教育が進められ、大学院は専門家志望かモラトリアムの若者が行く場所とされています。大学院卒だとかえって就職しにくい現状です。これは両国の企業の制度が違うためです。日本では学部生のうちから内定によって採用し、時間をかけて社員を自らの社風に合うように教育(社畜化)していきます。教育に時間をかける分早く始められる方が都合がいいし、人間関係の和を重視します。大学院卒は歳も食ってるし変わり者が多く人の和を乱すため、ここでは排斥されるのです。
これとは反対に中国の企業は基本的に社内での教育をほとんど行わないし、また労働者の方でも社恩に報いるという観念は全然なく、条件のいいところからヘッドハンティングされればすぐ他所に移ります。そのため、即戦力になる高学歴者の既卒者が優遇され、大学院は職業訓練校と化しています。
さらに、中国人男性にとって重荷となるのは結婚です。中国では男性が結婚する場合、家(タワーマンションの部屋を指す場合が多い)・自動車・彩礼(cai3li3 結納金)の3つが必須だとされています。結納金の相場は10万人民元(約200万円)程度だとされています。
これだけ経済的条件が恵まれている男性は少なく、競争に勝ち残ったものだけです。30台を過ぎても結婚できない男性は山ほどいます。
日本にも勝ち組・負け組という概念がありますが、中国は人口が極めて多く、格差社会で上位のポストは既に有力者に独占されているため、このような過当競争が起きています。
中国の為政者はこれら国民の怨念をも克服しないと政治ができないのです。ここまで読まれた賢明な読者諸氏は、昨今のALPS処理水の問題が中国で核汚染水と喧伝され、大騒動になっているのは、当局による一種のガス抜きを狙ったものであると容易に理解できるでしょう。
故・鄧小平氏が「豊かになれるものから豊かになればいい」として始まった経済の改革開放は、ここに来て大きなひずみを生み出しているのです。
そういう状況で中国から脱出して海外に移民したい富裕層とか、結婚しても子供につらい目を合わせたくないから子供は作らないという夫婦も増えています。
今後日中関係がどう推移するにしても、これら中国脱出を図る中国人が日本に次々移住することは火を見るよりも明らかであり、我々はこれら外つ国からの客人とどう向き合うか、真剣に考えなければなりません。
日本人と中国人とぶっちゃけどっちが優れているか?
日本人と中国人を比較した場合、どういう特徴が挙げられ、どんな考察ができるでしょうか?
このブログは日本人の読者を対象に考えているため、日本人の特徴より、日本人にとってあまり付き合いのない現代中国人の特徴の方が、より深く知りたいところだと思います。なので、まず中国人の特徴を上げ、その次にその中国人と比較した日本人の特徴を指摘し、その後で比較してみようと思います。
中国人の特徴としてその融通が利く臨機応変な知恵が挙げられると思います。中国人はアイデアマンです。ひとりひとりがコンサルタントと言ってよく、枠にとらわれないで自由かつ実用的な発想で行動します。また中国の社会がいろんな意味でゆるいので、中国人は困難な状況におかれても友達ネットワークの助けを借りながらなんとか助かったりします。
反面、これが悪い方に作用すると目も当てられません。中国人がいい加減なのはちょっとでも中国に滞在した方ならすぐ気づくと思いますが、仕事の面では、その場の思いつきで適当な対策を講じることを重ねていくので、後になって辻褄が合わなくなって破綻をきたします。すると、中国人は責任をまったく取らず投げ出します。これが中国人の悪い癖です。また、コツコツ仕事をやるより右のものを左に移すだけで金を稼ぐやり口を賢いと尊ぶ気風があるので、日本人の職人のような優れた品質の商品やサービスは生産できない傾向があります。「頑固一徹20年、親父のこだわりのラーメン」なんて概念は中国人の頭の中にはありません。その場その場で、楽に金が稼げる手段を合理的に追求していくのが中国人です。
それに比べると、日本人は真面目で仕事が丁寧(日本人工作认真,做事周到)というのが、当の中国人からの日本人に対する評価です。また、マナーが良く公共心があるとの評判もあります。
その反面、融通が利かず、丁寧にやるけど逆風が吹くと容易に行き詰まり、日本人同士あまり助け合う習慣がないので袋小路に追いやられやすいのが日本人の悪い特徴です。そうなると安易に自殺するか、やけ酒でも飲むしかありません。また、人間関係のネットワークを築かず、折角の出会いもその場限りの付き合いで済ます傾向があります。なので、日本人ひとりひとりが孤独です。
こういう傾向は遅くとも明末には生じていたらしく、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、日本軍との交渉を担当した明朝側の外交官沈惟敬は、「日本の武士は勇敢で武芸に精通しているが、後先を考えず、戦略がない」という趣旨のことを言っています。秀吉の軍勢はこの沈惟敬に丸め込まれて戦機を逸してしまいました。
中国が今これだけ発展しているのも、中国人のゆるく仕事をしつつ、柔軟な人間関係のネットワークで利益を上げるという方法が14億の人口の中で驚異的な効果を発揮しているからだと思います。日本人は職人ではあるが、商人ではなく、中国人の商道の足元にも及びません。
しかし、これは単純に優劣を比較すれば良いと言うものでもなく、ゲーム理論に於ける戦略のようなものだと思います。日本人のやり方と中国人のやり方、そのほかの民族の民族性が、ゲーム理論における各プレイヤーが取る戦略のようなものであり、歴史を通じて各民族がしのぎを削ってきた結果が現在だというわけです。逆に言えば、国土は中国の1/20、人口が中国の1/10、これと言って資源もなく、歴史的にも辺境だった島国の日本が歴史を通じて中国と互角以上に渡り合い、今でも中国の1/3の経済力を誇ることは驚異的なことだと言えるでしょう。