Limaoの中国裏事情ブログ

早稲田大学卒業、東洋大学大学院中退、2015年中国は湖北省の武漢大学に語学留学、2016年現地企業のサラリーマンを経て帰国。その後はフリーランスの日中翻訳者として東京を拠点にタイや台湾などでノマドワーカーしてます。 日本にいてはなかなか分からない中国大陸や台湾、香港などの実際のありさまをレポートします。中国語や台湾語の学習情報も更新していく予定。乞うご期待!

中国人に対する最大の侮辱は低学歴

日本でもかつては受験競争が激しく、学歴が重視される時期がありましたが、今や景気の後退により企業の新卒採用、青田刈りは少なくなり、年功序列制度の崩壊と派遣自由化によって、学歴よりも職歴が重視され、学歴は就職にとってさして重要ではなくなりました。

ところが、中国では事情は全然違います。現代中国は世界でもまれに見る学歴社会であり、高考(gao1kao3、大学入試統一試験)の結果がその後の人生を左右します。そのため受験競争は熾烈を極め、中学生、高校生が睡眠時間を削ってまで勉強に没頭させられています。中国には学霸(xue2ba4)という言葉があり、学校内の優等生を意味します。日本みたいにガリ勉とか優等生とか揶揄されたり、成績の良い学生がイジメられるという傾向は皆無で、むしろ成績の良い優等生はクラスの人気者で異性にもモテます。

一方で、中国は政治的な混乱から教育を受けられなかった世代の人が多くおり、そういう人は漢字もまともに書けなかったりします。そういう人を指して教育レベルが低いことをあらわす表現があり、中国語では「低学歴」のことを“没有文化”(mei3you3wen2hua4)と言いますが、実はこれは日本人が思っている以上に相手に対する攻撃性の強い侮辱なんです。

元々中国は儒教の国であり、教育を重視する傾向があります。論語には「子夏曰わく、賢を賢として色に易え、父母に事えて能く其の力を竭し、君に事えて能く其の身を致し、朋友と交るに言いて信あらば、未だ学ばずと曰うと雖も、吾は必ず之を学びたりと謂わん」という一節があります。これは「たとえ教育を受けていなくても、親孝行で道徳的な人は教育を受けた人と同じように尊重されるべきだ」という主旨の言葉です。儒教で言うところの学問とはヨーロッパで言うサイエンスのことではなく、道徳を学ぶことであり、そのため古の聖人の言行が記された古代の書物や文字を学ぶことでした。この考え方は現代中国でも脈々と受け継がれており、教育レベルが高い人は人間としての品性も高いと考えられています。

前の記事で中国人に中国語の発音が訛っている(普通话不标准、pu3tong1hua4bu4biao1zhun3)というと相手がすごく怒るという話をしましたが、これは共通語が下手=教育レベルが低い=人間性に問題がある、というふうに捉えられるからです。なので中国において教育とは今でも道徳教育のことなんです。

マナーの悪い人(没有素质的人,mei3you3su4zhi4de・ren2)が多く、その分マナーが悪い人を軽蔑する傾向がある中国では、道徳教育はもっとも重視されています。また、一方で極端な学歴社会であり、学歴がそのまま生涯年収を意味する中国では、学歴の持つ意味は非常に強いのです。この学歴のことを中国では“文化程度”(wen2hua4cheng2du2)と言い、非常に重い意味を持っています。